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生い立ち(その4)

Dsc00965 これはアメリカ在住時代('80 中1)のYear Bookの写真。

可愛いでしょ?

俺が通っていたLongfellow Intermidiate SchoolはVirginia州郊外のMcLeanという町にあるPublic School。こじんまりした良い中学校でした。

でも、今思うと、本当に勉強はしなかった。

我ながら、でもよく卒業できたなぁ・・・と思う。

もっと真剣に勉強してたら、英語も上達しただろうに・・・・。

授業中もよくふさげたり、喧嘩したりして、何度もDetention(悪さをした生徒におしおきする居残りクラス)を喰らって、母親が呼び出されたりしていた。

アメリカでも、そんなヤンチャ坊主だった俺が、今、長男を中学受験させようと考えているんだから笑っちゃうよね。いや、自分の失敗を息子達に繰り返して欲しくないという親心なのだよ。

でも本音言うと、俺がアメリカ生活をエンジョイさせてもらったように、子供達にも・・・・と思う日々。

頑張らねば・・・・・。

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遅すぎるラストスパート

夏休み気分も抜けないまま、今週日曜日の空手の大会(組み手)に出場する息子たち。

ハッキリ言って、練習不足が否めない。親としてチト不安・・・・。

でも今夜は二人とも夜遅くまで頑張ったみたい。

明日は支部の道場へ出稽古に行く。

長男は昨年の同大会のベスト8で、再々延長の末、敗れた。

個人的にも、観ていて今までで一番悔しい敗戦だった。試合は一進一退の互角の攻防。体重判定も0.5Kgの差。最後の最後も副審の判定は1対1。主審の判定に委ねられたジャッジは、無常にも相手へと挙がった。二度の反則(上段蹴り)が響いてしまったのか?今年はその悔しさを胸に、7月のベスト4以上を期待したい。

次男は本大会初出場。

7月の初・組み手大会は15秒程で一本負けを喫した。その苦い経験から、最近は急成長しているので楽しみ。動きも軽くなり、左の蹴りも出せるようになった。多くは望まないが、1試合でも多く試合をして欲しい。

試合まであと5日。

ちょっと遅いラストスパートだが、一番成長する「試合前一週間」を充実させて欲しいと願う『熱心な父兄@本部5F』であった。

※7月の大会より Go

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フラッグフットボール

アメフトを引退して8年後の2004年から、フラッグフットボールをエンジョイしている。

フラッグフットボールとは腰に旗(=フラッグ)を付け、これを取ることでタックルとみなし、危険なコンタクトプレイを避けることで、子供から大人まで楽しめるスポーツ。フィールドもアメフトの4分の1サイズで、5人対5人でプレイする。近年、アメフトの普及にも一役買っています。

さて、今日は神戸・王子スタジアムでミックス(男3人、女2人)の全国大会http://footballjapan.org/flagmain.htmに出場ました。8月初旬の関東大会@小机を勝ち抜き、3年連続('04:準優勝、'05:6位)の出場です。

朝4時に起床。始発の全日空機で一路神戸空港へ。

さすがに日曜日の始発ということで、半径5mは誰も居ないくらいガラガラで、快適な遠征となりました。

全国大会は関東代表4チーム、関西代表4チームを2つのブロックに別けて、それぞれリーグ戦(計3試合)を行い、各ブロック同順位同士が戦って日本一を競いました。Flag_

結果はブロック内2位(2勝1敗)で、3位決定戦で勝ったものの、結局3位でした(残念!)。今日の神戸は大変暑く、怪我人続出。競技レベルは上がってきたものの、健康管理にも課題を残した大会でした。

個人的には一度足が痙攣しそうになったけど、何とか無事生還。普段はディフェンス専任なのですが、今日はQBでタッチダウンも出来て、まあまあの出来だったかな・・・・。Flag__1

次回は年明けの1月に開催。今度こそ日本一を目指すゾー!!

写真2】※フラッグ取ろうとして、相手チームの女の子のパンツを引っ張ってしまいました。(空いてベンチから非難轟々)。結構フラッグ取るのって難しいんです。

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生い立ち(その3)

「1年も居ればペラペラになるわよ」と、駐在中の人達に言われ続けて約半年。

ペラペラどころか、一向に英語が上達する気配が見られない4月の初旬。何とか集団生活に馴染もうと、地域のリトルリーグの入団テストを受けることになった。

テストは各チームの監督達が見守る中、合同でバッティングとフィールディングテストを行い、監督は気に入った選手のリストをリーグに提出し、競合がなければチームに参加するシステムである。

バージニア州のリトルリーグは、地域の企業がチームスポンサーになっていた。(例えば「Pizza Supreme」というピザのチェーンや「Mort's Bootery」という靴屋など等)。そしてメジャーリーグ同様に、A, AA, Majorとレベルが三段階あり(これも入団テストの結果、振り分けられる)、それぞれAmerican League, National Leagueに分かれ、4月中旬~7月までレギュラーシーズン21試合を戦う。そして、上位チームがプレイオフに進出し、優勝を決めるという仕組みだ。

更にすごいのが、開幕日は町中をブラスバンドと共にパレードし、Dsc00952_1 セレモニーを行う徹底振り。勿論、球場は全てリトルリーグ専用で内野も天然芝という日本では考えられない環境なのである。

そして、もっともっとエキサイティングなのは、その中から更にベストメンバーが選出され、そのチームがDistrict(地区)の代表として、選抜チームを構成する。

そんな素晴らしい環境で野球をしたことで、俺の英語力と交流関係が飛躍的に向上していったのである。学校生活ではなかなか活躍の場がない中、得意だった野球をプレイすることで、周りから認められ、学校以外の友達も増え、その結果英語力も身につくという相乗効果を生んだ。この頃から急にアメリカ生活をエンジョイできるようになったのは言うまでもない。

尚、リトルリーグでの戦績だが、’79年はチームは7勝14敗で最下位だったが、選抜チームに選ばれ、地区大会に参加したが、チームは一回戦で散る。Dsc00954

’80年は15勝6敗でリーグ2位でプレイオフ進出。プレイフフでは準決勝で敗れ、National League2位。投手として最多勝獲得。この年も選抜チームに選ばれ、地区大会では準優勝することができた。

この頃にまた、今も尚、家族ぐるみで付き合うことになる一生の友達とも出会うことになる・・・・・(続く)

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生い立ち(その2)

1978年7月20日に初めてアメリカの地を踏んで1ヵ月半後、遂に現地小学校(Louisville Elementary School)に通う日が来た。

ご存知の通り、アメリカの学校は9月スタートだ。当時小5だった俺は、一個飛び級して、6年生のクラスに入ることになる。

今まで経験したことのない不安と緊張。小3の時に初めて出演したピアノの発表会の方がよっぽどマシだった。

そんな不安だらけで右も左も分からない俺を救ってくれたのは、一人の日本人の女の子だった。

岡井朝子さん。

小6で既に170cm近い巨体(失礼!)の日本人がナント、クラスメートに居たのだ。しかも、英語ペラペラ。まさに天使。彼女の存在は一生忘れることが出来ない。随分体の大きな天使だったけどネ。

そんなこんなで彼女の通訳に助けられながら、学校生活を始めることになったのだが、何の授業をやっているのか分からない悲痛の日々は暫く続く。

そして何とか1ヶ月が経ち、アメリカの学校生活にも慣れた頃、俺以外にも英語の喋れない外国人が3名居たこともあって、ESL(English Second Language)という外国人対象のクラスが始まった。

今思えば、この授業。ウチの次男(年中さん)が今習っている英語教室で、ボードに「リス」やら「ネコ」やらの動物の絵が書いてあって、それを英語で答えるというレベルのもの。

こんな初歩的な授業を受けながら「俺は本当に英語が喋るようになるのだろうか?」と幼心に真剣に悩む日々が続くのであったが、それから半年後、状況が一変するような出来事が起こる。(続く)

ちなみに、俺の命の恩人?岡井朝子さん。

最初の出会いから11年後の1989年。この年唯一「女性」外交官試験合格者として週刊朝日に登場する才女だったのである。

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生い立ち(その1)

恐ろしいことに、来月9月で、30代最後の誕生日を迎える。

ゆっくり振り返ったことなどなかったけど、今まで色々あったなぁ。

今の人生に大きな影響を与えた転機は4度・・・・あったかな。

'78渡米、'92就職、'95結婚、'97転職(その1)

夏休みでボーっとしてるから、ちょっと振り返ってみようかしら。

まずは最初の転機、'78渡米。

1967年9月12日に杉並区逓信病院にて産まれる。病院一白いまん丸の坊主だったそうな。生後7歳までは川崎市多摩区の西三田団地で過ごし、当時完成したばかりのニュータウン?横浜市港北区(当時)「すみれが丘」に移り住む。小学校1年の夏休みのことだ。

5年生になると、TBSでバリバリの報道マンだったオヤジの仕事の関係で、お袋、3コ上の兄貴と共に米国・ワシントンD.C近郊のバージニア州へ引っ越した。人生4度目の引越しは、10歳の小僧には「海を渡る」という、とてつもなく計り知れなくデカイ事件だった。

超野球少年だった俺は、「大リーグが生で観られる!」と単純に喜んだが、渡米して半年間は泣きたくなるような日々が俺を待っていた。なんせ、英語なんて一言もしゃべれなかったのだから・・・・・。

3年間暮らしたバージニア州マックリーンは閑静な住宅街。緑も多くのんびりとした町。まず、最初に驚いたのは二階建てで6LDK、前後に芝生の庭、カーポートは車3台収容可という恐ろしい大きな家だった。 Dsc00971_1 Dsc00972

庭にはカーディナルやブルージェイ(共に大リーグのチーム名になっている美しい鳥)はしょっちゅう飛んでくるし、リスの親子がエサをおねだりに来るし、夜になると蛍が舞う。そんな夢のような自然満載の生活が始まったのだが、夏休みが終わると・・・・・(続く)

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茶番劇

信じられん!

これが八百長判定じゃなくて何なん?

どうみても、亀田は完敗。勝者はランダエタだろ。Photo_11

1Rのダウンに始まり、断然ランダエタの手数も多く、ガードに隙間からジャブも確実にヒット。最後の2Rは亀田はフラフラで、ようやく立っていたという感じ。いったいどういう判定基準なんじゃい?

明日のメディアの対応に注目したい。

ムカつく!

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球児の夏

いよいよ全49代表が決まった。

それにしても、雨で順延が多かったけど、今年の地区大会は面白い試合が多かった。

その筆頭が昨日の宮城決勝・東北対仙台育英。

延長15回引き分け再試合で決着。本来ならば7月26日に決勝が行われるはずだったのに、雨で順延、順延の末、2年生エース佐藤の仙台育英が代表の座を掴んだ。本当は東北のエース高山、3番成田を甲子園で観たかったんだけど・・・。

千葉の決勝・千葉経大付対拓大紅陵も手に汗握る好ゲーム。

1点差38、サヨナラ8、延長13が物語るように、超激戦地区だった。その千葉を制したのは千葉経大付。76年に桜美林で全国制覇した時のエース・松本吉啓監督とその次男とで親子出場。2年前に長男・啓二郎(現・早大2年・今春六大学ベストナイン)を擁し、初出場でベスト4進出している。個人的には、拓大紅陵のスラッガー・大前(2年)に来年以降期待したい。

西東京の決勝もワイルドなサヨナラ劇だった。

日大三の4連覇を阻止した早稲田実業の齋藤投手は、センバツベスト8超えを目指すと共に、病気で療養中のソフトバンク王監督の為にも80年の荒木大輔以来の決勝進出なるかナ?オールドファンにはたまらない春夏連続出場。

そんでもって、優勝予想。

神奈川を圧倒的な強さで制したセンバツ覇者横浜。夏3連覇を目指す駒大苫小牧。順当に考えればこの二校が優勝候補筆頭だろね。

横浜は、1年時から正捕手で主将・福田(ウチの近所の緑中央シニア(現・横浜青葉)出身)を中心とした超打撃のチーム。Photo_10 チーム打率4割3分4厘、本塁打10本、83得点と、まさに驚異的な打撃力。渡辺元智監督は「打つことしかできないチーム」と言うが、盗塁も26個を決めている。左腕3人(川角、西嶋、浦川)も安定度抜群。本当は2年生で4ホーマーの脅威の先頭打者・田中(広)、昨センバツで2本塁打し、今夏3ホーマーのプロ注目の田中(大)の東海大相模を応援してたんだけど、一歩及ばなかった。

苫小牧は主将交代したエース田中はマジでヤバイ。Photo_9150キロの速球と高速スライダーは高校生では打てない。ただマスクがあまりイケてない・・・。新主将の本間は04年の佐々木孝介主将、05年の林裕也主将(共に現・駒沢大)と同じ余市シニア出身。大会直前の交代だが、もともと昨年から4番に座る大黒柱。メガネがトレードマークの本間は香田監督と顔がクリソツ。かなり話題になりそう。 センバツは不祥事で出場辞退になっているだけに、この夏にかける思いは強い。今の時代に3連覇したら大変なことになりそうジャン。

その他注目の選手は、愛工大名電の堂上、大阪桐蔭の中田。この二人は一見の価値あり。彼ら以外でも、大会を通じて必ず「怪物」が現れる筈。(甲子園はお化け屋敷かい?)

そんでもって、明日は組み合わせ抽選会。高校生の大会をテレビで生中継なんて、これまたスゴイ。楽しみ、楽しみ。

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